番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

Exadoria−エクザドリア− 番外編

パスティール・ド・トレザー手記
 「サスト事件簿 −禁じられた言葉−」

written by 紅葉
  サスト。
 それは大陸一の治安の良さで知られる国だ。しかし、そんなサストにおいても事件は起こる。変わることがないと信じてきた日常が、突然、崩れ落ちるように瓦解する。首都アンダリューサイトで起こった事件は、そんな悪夢に似ていただろう。
 この事件が後の世にも伝えられたことは幸いだ。
 筆頭書記官、パスティール・ド・トレザー。彼の功績は永く伝えられるだろう。


「サスト事件簿 −禁じられた言葉−」

−序−

 わたしの名はパスティール・ド・トレザー。サストの筆頭書記官だ。
 これからわたしが綴る物語は、サストで実際に起こった恐るべき事件に基づいている。わたしが体験した事実と、出来うるかぎり関係者から集めた証言をまとめあげたものだ。ほぼ正確に事実を語ることが出来ていると思う。
 誰もが恐れおののき涙した数週間を、わたしはここに書き留めよう。
 後世のためにも、同じ過ちが二度と繰り返されないようにと切に願う。

−発端−

王宮付侍女ジャネットの証言。

 その日は朝からとてもお天気がよくて、お庭に綺麗な花が咲いておりました。(陛下はあまりそういったことにご興味がないのでお庭は荒れているんですが、それでも花はけなげにも咲くんですわ)
 陛下の執務室は少々お寂しいので、わたくし、その花を飾ろうと思いつきました。それで花瓶に白い花を生けて、お部屋へとお持ちしたのです。
 執務室へ入ると、シェスタローゼ様が陛下とお話していらっしゃいました。日中は滅多にお部屋から出てこられない方でしたので、わたくし、少し驚きました。それにお仕事の邪魔ではないかと心配もしました。ですから、陛下にお伺いをたてたのですが、かまわないとおっしゃるので、部屋の隅にある樫の台の上に花瓶を置こうと部屋の中へと入りました。
 花瓶を飾っている間も、陛下はシェスタローゼ様とお話をなさってらっしゃいました。わたくし、少しはしたないとは思いましたが、シェスタローゼ様がどんな話をなさっているのか興味があったのです。シェスタローゼ様は中性的な美しい方でいらっしゃいますでしょ。わたくし達、侍女の間ではミステリアスな方だとみんなで噂しています。だから、気になったのですわ。
 ちらっと覗いただけですが、陛下は難しい顔をなさっておいででした。
「娯楽?」
 と、陛下が怪訝そうに呟かれたのを覚えております。そのあと、シェスタローゼ様がたおやかな笑みを浮かべておっしゃいました。
「ええ、そうです。サストの国民は真面目に役務をこなすものがほとんどですが、そればかりでは息もつまりましょう。疲れを癒す意味でも何か娯楽のようなものが必要かと……」
「なるほどな。それで、具体的に何をするのだ?」
 難しいお話はわたくしにはあまりわかりませんが、それでもシェスタローゼ様のお言葉に、わたくし共感しました。こんなに民のことを考えてくださっているなんてって感動さえいたしましたわ。
 だから、お話の続きを是非伺いたかったのですが、でも、花瓶はもう綺麗に飾ってしまいましたし、他にすることもなく、仕方なく退室しようと扉に向かって歩き出しました。  でも、しっかり聞き耳は立てておりましたわ。
「…………を、陛下自ら実践なされれば、皆の士気も高まりましょう。…………を、参考になさって……」
 結局、わたくしが耳にすることが出来たのはこれだけでした。
 扉越しに耳をそばだてるなんてことは、流石に出来ませんものね。とても気になったのですが、諦めて自分の仕事に戻りました。
 ですが、まさか、このあとあんな恐ろしいことが起きるなんて思ってもみませんでした……。


 以上が、ジャネットの証言だ。
 彼女の普段の仕事振りは真面目で問題はない。しかし、陛下とシェスタローゼ公の話を盗み聞きするというのはあまり聞こえのよい話ではないが、今回は目を瞑ろう。
 彼女のおかげで、原因がシェスタローゼ公にあるらしいということがわかったからだ。
 シェスタローゼ公はサストの頭脳ともいえる方だが、少々、変わっていらっしゃる方だ。あの方が原因だと知ったわたしに驚きはなかった。彼ならやりそうだと納得したのだ。
 だが、おかげで皆が迷惑したのは否めないだろう。
 ともあれ、これが事件の始まりであることは間違いない。
 やはり、シェスタローゼ公は要注意人物ということを忘れないでもらいたい。


−目撃証言−

1.パスティール・ド・トレザーの証言。

 その日、わたしは軍からあがってきた予算案の見直しをしていた関係で、帰宅が遅くなっていた。
 サストの宮殿には陛下が使っておられる執務室を筆頭に、政務に携わる者達の部屋が数多くある。これらの部屋のほとんどは同じ1階の一画に固まっている。それだから、日中はそれなりに賑わしいのだが、夜ともなるとやはり静まりかえるようだ。
聞こえてくるのは、わたしの息遣いと蝋燭の芯がじりじりと燃える音。そして、紙ずれの音くらいだろう。
 こんな静けさは、仕事をするにはちょうどいい。おかげで思ったよりも仕事は順調に進み、夜の10時をまわる頃には片付いた。
 固くなった肩をほぐし、疲れた目を軽くこすったあと、帰宅の準備をしようと片付けに入ったときだった。
 隣の部屋から何やらぶつぶつと声が聞こえてくる。
 それは呪文めいていて、わたしは怪訝な面持ちになった。  隣の部屋は陛下の執務室だ。あの方はわたし以上に遅くまで仕事をする方だが、こんな風に声が聞こえてくることは稀だ。いや、今まで一度もなかっただろう。
 一体、何をされているのか、わたしは気になった。
 普段から陛下はご自身のお体も省みず、仕事に没頭される方だ。寝食も忘れ仕事に熱中し、倒れられたことなど何度もある。また無茶でもなさっているのかと、そのときはそう思った。
 これは様子を見たほうがよいだろうと思い立ち、わたしは陛下の執務室へ繋がる扉を叩いたのだ。

 陛下の執務室とわたしの執務室は中で繋がっている。廊下へ出る必要もなく、右の壁の隅に設置された扉を潜れば、そこは陛下の執務室だ。軽く数回叩いたあと、扉の向こうから返事はすぐに帰ってきた。
 中に入ってみると、陛下はお一人で机に向かわれていた。決済箱の中には、目を通されたらしい書類がうず高く積みあがっている。その横で、陛下は一冊の本を広げ読書をなさっていた。何やら難しい表情で本を読む陛下に、わたしはいつもの調子で声をかけてみた。
「陛下、そろそろお休みになられてはいかがですか?」
 そう言った矢先、机の隅に忘れられた食器が目に飛び込んできて、わたしは思わず溜め息を零していた。
 またか……。
 そう思ったのだ。陛下は寝食を忘れて仕事に没頭してしまうことが度々ある。食器の上の料理にはまったく手がつけられていない。おそらく侍女が運び込んだことすら、この方は気づいていないに違いない。
「陛下……、また食事をなさるのを忘れましたね」
 わたしの台詞に顔を上げた陛下は、片隅に追いやられた食器を目にして言った。
「そうらしいな」
 まるで他人事のように言う陛下に、わたしはかけていた眼鏡をかけなおす。そして、改めて陛下を見下ろした。
「恐れながら申し上げます。陛下のお体は陛下おひとりのものではございません。我が国の未来のためにも、陛下には健やかでいてくださらないと困ります。先月も栄養失調でお倒れになったばかりですし、ここはしっかりとご自分の健康管理をですね……」
「ああ、わかった。今日はもう寝ることにしよう」
 わたしの台詞を中断し、陛下は読みかけの本を閉じると椅子から立ち上がられた。どうやら本気でお休みになられることにしたらしい。それならばそれで、わたしも安心できるというものだ。
「はい。では、おやすみなさいませ」
 陛下はひとつ肯かれると、執務室から退室された。
 それを見送ったあと、わたしも蝋燭の灯を消してから部屋を出る。
 声のことを思い出したのは、それからしばらくしてのことだ。宮殿から出て衛兵と挨拶を交わしたあと、執務室で聞こえてきた声のことを思い出した。
 だが、結局、わたしはそれ以降、その声のことは忘れてしまった。忙しかったせいもある。だが、何故、あのとき忘れてしまったのか、何故、すぐにでも確認しなかったのかと、思い返すたびに悔やんだものだ。
 あのとき、陛下が見ていた本。それがどのようなものであったのか、わたしは後に知ることになるのだった。


2.近衛騎士ヨーン・メルネスの証言

 その日、わたしは陛下が街を視察なさるということで、護衛の任務を預かっておりました。少し曇り空で一雨きそうな天気だったものですから、乗馬ではなく馬車でのご視察ということでした。いつもですとヴェルディスティス閣下がお供をされるのですが、その頃はすでに閣下は戦地へ赴かれておりましたので、陛下はお一人でした。
 予定通り、時の鐘が9つ打たれた頃、陛下は用意された馬車へとやってこられました。わたしはそのとき、馬車の扉を開けて待っていましたので、陛下のお傍近くにいたのだと思います。
 曇り空を見上げた陛下はぽつりと何かを零されたようでしたが、わたしにははっきり聞き取ることができませんでした。空を見上げていらしたので、天候でも気になさっていらしたのだろうと思うだけでした。
 それから馬車は陛下を乗せ、街へと向かいました。今日は市長が主催する講演会へ出席され、そのあと街を見てまわる予定でした。
 講演会にはわたしは出席しません。そういったものは苦手ですし、わたしのようなものが出席したところで何の役にも立ちませんから。御者台の上で御者と一緒に、陛下がお帰りになるのを待ったのが2時間くらいでしたでしょうか。
 陛下が集会所から出てくるのを見たわたしは急いで御者台から飛び降り、馬車の扉を開けて陛下をお迎えしました。それから陛下が馬車にお乗りになったあと、市長がわたしに遠慮がちに話しかけてきたのです。
「……陛下はいかがなされたのでしょう……。今日の陛下はなんと申しますか、その、いつもとご様子が違うように見受けられまして……」
「何か変わったことでもございましたか?」
 わたしがそう問いかけると、市長は口篭ったあと、流れ落ちる汗を手に持っていたハンカチで拭いました。
「ええ……少々というか……いや、こういうことは役人の方にお願いするべきですな。失礼しました。これからご視察でしたね。お手間を取らせて申し訳ありません」
「あ、いえ、では失礼いたします」
 何か釈然としないものを感じつつ、わたしは市長に一礼すると御者台によじ登りました。
 馬車が出発するのを見送る市長の姿を、わたしはよく覚えています。焦燥として疲れきったように肩を落とし、彼は私たちが去っていくのをいつまでも見つめていたのです。


 以上が、メルネスの証言である。
 これは些か興味深い内容であったから、わたしは市長に直接問いただすことにした。市長は最初、言葉を濁していたが、何やら覚悟を決めたのか、わたしにはっきりと言った。
 講演会で陛下が口にした数々のおぞましい台詞を。
 思わず唸り声をあげてしまったほどだ。まさか一般市民に対して、このような暴挙をなさるとは想像もつかなかった。またこのようなことが起こるのかと不安がる市長に対し、もう二度とないと明言する。そう。このようなことが二度もあってはならないだろう。 そのためにわたしは記録を残しているのだ。


3.アーダベルト・フィーア・ヴェルディスティス将軍の証言。

 今思い出しても身震いする。まさかアイレス様がこんなことをするとは……。いや、あの方だからこそ、やりかねないとも言えるか。
 シェスタローゼ公の入れ知恵だということはすぐにわかった。演説するアイレス様の後ろで、一服毒を盛るときのような笑みを浮かべて彼は立っていたからだ。あの微笑は時には俺ですら背筋に悪寒が走る。あれは悪魔の微笑みだろう。あれが浮かんだときは、大抵、よからぬことを考えているというのが俺の定説だ。
 とにかく、今回のことは悪い冗談だ。あんなことをアイレス様に教えるとは……。おかげで俺の仕事が増えるんだから勘弁して欲しい。泣きつく兵士達を相手にするよりは、女性を相手にしたほうがいいんだ、俺は……。
 一刻も早く、アイレス様の誤解を解かなければ……。
 俺は自身に固く誓った。縋りつく兵士達をあしらいながら、俺はアイレス様の元へと歩き出していた。


 以上が、アーダベルト将軍の証言だ。こやつの場合は話が長くなりそうなので簡潔にかつ、要点をまとめて書けと言ったのだが……。まあ、いい。
 コメントもあまりしたくはないのだがそうもいかないだろう。
 これは戦地での話なのだが、どうやら陛下が兵士達を前に演説をし、そのときに例のおぞましい台詞の数々を口にしたらしい。具体的に書くのはわたしでもためらわれるから、アーダベルトも書かなかったのかもしれない。彼の話によると、兵士達の志気は一気に落ち、その日の戦闘は散々な結果に終わったそうだ。
 確かに、あれを聞いたあとでは戦う気力など萎えるだろう……。
 だが、しかし、陛下の誤解とやらはすぐに解かれることはなかった。シェスタローゼ公は策士だ。彼の妨害により、アーダベルトが直接陛下と話をする機会がつかめなかったのだ。シェスタローゼ公が意図的にやったのかどうかは定かではないが、アーダベルトに言わせるとそういうことらしい。
 おかげでアーダベルトは毎日兵士達の志気を上げる策を講じながら戦闘に望み、陛下の顔を見ては意気消沈する兵士達を叱咤激励し続けた。どうにか戦況を建て直し、かろうじて勝利を掴むことができたのはアーダベルトの功績だろう。今回のことに関して同情はしないが、賞賛はしてもいい。


4.モーリッツ・リヒター大将の証言。

 戦局は我々に傾いておりました。最初から我々には勝てる戦だったのです。それが危うくなりかけたのは、恐れながらひとえに陛下の……


 トレザーはふいに顔を上げると扉を見た。人の気配を感じたからだ。おざなりに扉が叩かれ、予想通りに開かれると同時に、ふざけた声が耳に飛び込む。
「パティちゃーん、仕事よぉ」
 その台詞を耳にするやいなや、トレザーは机上にあったペパーナイフを扉に向かって投げつけていた。それは今しがた入ってきた人物の顔を横切り、板張りの扉に突き刺さる。
 反動で上下に揺れるそれを、口笛を吹いて大げさに驚いてみせたのはアーダベルトだ。
「相変わらず、いい腕だねぇ」
 揶揄しながら、手に持った書類の束をトレザーの机の上に置く。
 それを横目で見ながら、トレザーはアーダベルトを睨みつけた。
「普通に呼べと言っている」
「はいはい」
 肩をすくめてみせるアーダベルト。これはいつものことだ。結局、彼は面白がってやめようとはしない。トレザーもそれをわかっているのだが、言わずにはいられないのだろう。
 ここで忘れてはならないのだが、トレザーの身分や地位はアーダベルトに比べてかなり劣る。トレザーはトレザー伯爵家の次男坊。つまり爵位を継承することはない。現在、首都の一画に部屋を借りている身だ。しかし、彼は相手が誰であろうと態度を変えることがない。それは自分が仕える国王に対しても同じであった。通常であれば、無礼者と一刀両断されてもおかしくはないのだが、さすがはサストというべきであろうか。トレザーが一部の人間に煙たがれることはあっても、アイレス自身も、そして、アーダベルトも彼を咎めようとはしない。ただし、アーダベルトの場合は面白がっているといっても過言ではないだろう。
「で、何をやってたんだ?」
 トレザーが返事をする前に、アーダベルトは彼がペンを走らせていた紙を手に取っていた。
「ああ、例の記録ってやつか。お前さん、本当にマメだねぇ」
 そう言いながら、今度は横に積んであった紙の束を手にとってぱらぱらとめくり出す。
「へぇ、ヨーンからも話を聞いたのか。お、こっちはジャネットじゃないか。どれどれ」
 案外、楽しそうに文章を読むアーダベルトを冷たい目で見つつ、トレザーは先程の続きを書き始める。
 今回のアイレスの事件を後世へと伝えるために、彼は記録として残すことに決めた。それをはじめてもう2週間になるだろうか。様々な人物に話を聞き、情報はすでに集めてある。今はそれをまとめている真っ最中だ。
「しかし、硬い文章だねぇ。もっとこう、優雅に書けないもんか?」
 文句を言いつつも読みふけるアーダベルト。トレザーの眼鏡の奥で、冷たく瞳が光る。
「これは恋文じゃないんだ。記録文書に優雅もないだろう」
「ごもっとも」
 軽く笑ったあと、アーダベルトは小さく唸り声をあげた。
「おいおい。これはないんじゃないか? 俺はもっと格好よく書いたはずだぞ。お前さん、はしょっただろう」
 そう言ってトレザーに突きつけた紙には、アーダベルトの証言が書かれていた。それを一瞥しただけで、トレザーはペンを再び走らせる。
「わたしは簡潔明瞭にと言ったはずだ。お前の書いたものには余計なものが混ざりすぎている。記録として残すのに、どうしてお前の女性遍歴を載せる必要がある。あのとき彼女とこうして過ごしたものだとか、いますぐ彼女のもとへ行きたいとか、そんな文章を記録として残せるはずがない」
「何を言う。立派な記録じゃないか」
 平然と言うアーダベルトに、トレザーは何も言う気がしなくなったのか再びペンを動かした。
「邪魔をするなら帰れ」
「まったく冷たいねぇ。お茶ぐらい出してくれてもいいものだろうに……」
 そうぼやきながら、アーダベルトは勝手に部屋の片隅に用意されたコーヒーを自分で淹れている。これもいつものことだったから、トレザーもまったく気にしていない。
「安いコーヒーは味も安っぽいな」
 淹れたばかりのコーヒーの味を確認し、アーダベルトは歩き出す。
 公務に携わる者達の飲食はすべて宮殿内でまかなうことが出来るのだが、これは政務機関で管理運営している。一般兵から将軍、あるいは一般の役人、いわゆる官民から大臣までが同等に使える食堂がいい例だ。そして、お茶の時間になると女官達が、かいがいしくお茶やコーヒーを用意してまわる。それは皆、王室御用達と呼ばれる厳選された店から購入されたものであるから、決して安物ではない。だが、何故かトレザーの部屋に用意されたものは、皆、安物ばかりだ。
 実はトレザーは王室御用達の品と称し、自分に配給された分を一般市民に市場よりも低価格で売っているのだ。こんなことをするような不届き者はもちろん彼しかいない。彼にとって、飲食とは腹を満たし、喉を潤すだけのものでしかないのだ。そうして得た金を自分の懐にいれているのだが、彼はそれを決して恥じることがなかった。
 官僚用に購入されたシンプルな応接セットのソファに腰を下ろし、アーダベルトは優雅な仕草でカップを口元へと運ぶ。
「しかし、あれは本当に参ったな。今だから笑えるが、アイレス様のあのずれた感性にはほとほと参った」
 ふぅと一息ついたあと、アーダベルトは回想する。

 戦地から戻ったアーダベルトは真っ先にトレザーの元へとやってきた。彼がアイレスの行動を知っているか確かめたかったからだ。その頃にはトレザーにもいろいろと噂話が耳に入っていた。そして、彼には思い至るところがあったから、アーダベルトの話を真面目に聞いたのだ。
 トレザーはずり落ちてきた銀縁眼鏡を指先で軽く持ち上げると、いつになく真剣な面持ちのアーダベルトを見上げた。
「わかった。わたし自身は陛下から直接戯言を聞くことはなかったが、噂で知った限りではかなり問題があると思っていた。お前がそこまで言うのだから、相当なのだろうな。これは陛下に直接進言する必要があるだろう」
 トレザーはおもむろに立ち上がると、アーダベルトの横に並んだ。
「陛下は今、隣の執務室で公務中だ。今ならシェスタローゼ公の邪魔も入らないだろう。行くぞ」
 肯くアーダベルトを尻目に、トレザーは隣の部屋へと通じる扉を叩いたのだった。

「珍しいな。わたしに何か用か?」
 アーダベルトとトレザーが一緒に連れ立ってアイレスの元を訪れたことを、彼はそう言い表した。確かに二人が一緒に仲良く部屋を訪れることはない。おそらく今日がはじめてだろう。
 アーダベルトとトレザーは、アイレスの執務机の前に並んで立った。自分たちを見上げるアイレスに、先に切り出したのはトレザーだ。
「陛下、今日はお願いしたき議がございまして、こうしてヴェルディスティス将軍と共に参りました」
「願い?」
 アイレスは怪訝そうに言うと、アーダベルトに顔を向けた。それにアーダベルトは肯いてみせる。
「何だ?」
 アイレスに促され、トレザーはひとつ咳払いをするとおもむろに切り出した。
「近頃、一般市民や士官達から苦情が寄せられております。陳情と言っても過言ではありません」
「陳情? 何か問題でも起きたのか?」
「はい。非常に厄介で由々しき問題です。このままでは皆、落ち着いて生活ができないでしょう」
「それは確かに問題だな。で、その原因はわかっているのだろうな?」
 それだからお願いに来たのだろうと、アイレスはそう言うように二人を見た。
「はい。原因は陛下です」
 あまりにもあっさりきっぱりとトレザーは言った。
 アーダベルトはその直接的な切り出しに息を呑んで彼を見る。しかし、トレザーは平然としていて、下手をすれば相手を怒らせるかもしれないような台詞を吐いたとは断じて思っていないらしい。その横顔を見た途端、アーダベルトは胸の内で溜め息をついた。
 そうだ。トレザーはこういう男だった……。
 一方、アイレスも流石に即答ができなかったようだ。彼は眉間に皺を寄せると、怪訝そうにトレザーを見る。
「わたしに原因があると?」
「はい。その通りです」
 アイレスは口を閉ざすと、先を促すようにトレザーを見た。
 そういう彼の仕草には慣れているのだろう。すぐに察したトレザーは用意してきた嘆願書をアイレスの机の上に置いた。
「こちらは今までにわたしのところへ持ち込まれたものです。皆、陛下がなさったことについて、やめていただきたいと涙ながらに訴えておりました」
 束になった紙は、厚さが1セクトはあっただろうか。それを見つめたあと、アイレスはトレザーに問いかけた。
「わたしがしたこととは何だ? わたしには皆に迷惑をかけた覚えはないのだが……」
 やっぱり気づいていないのかと、アーダベルトは内心で溜め息をついた。いや、気づいていたらとっくのとうにやめているはずだろう。
 この人はそういう人なのだと改めて認識したアーダベルトは、トレザーに代わって自分から話し出した。
「先日の戦いを覚えておいででしょうか? 戦地でアイレス様が兵士達に演説を行なったあと、戦局は散々な結果となりました」
「そうだったな。兵たちの志気がすこぶる低下していた」
「そうです。その原因が何であったか、アイレス様はお気づきですか?」
 アイレスは少し考えたあと、左右に首を振る。
「いや、わたしもあの後考えてはみたが結局わからなかった。君にはわかったのか?」
 アーダベルトは深い溜め息をついたあと、仕方なさそうにアイレスを見た。
「原因はアイレス様です。アイレス様が行なった演説のあと、兵達の志気は下がりました。アイレス様があんなことをおっしゃるからですよ。努力は認めますが脈絡もなく、熊がクマったとか、馬がウマってるとかおっしゃるのは、あまり褒められたものではありません。まあ、コンドルがめりこんどるは、結構いいセン行ってましたが……」
 そう言うアーダベルトの隣ではトレザーが目を瞬いていた。そんなことを言ったのかと思っていたのだろう。
「とにかく、ああいうのは困ります。つまらないダジャレをおっしゃったおかげで、兵士達の志気は萎えたんです。誰だってあれはやる気をなくします」
「しかし、あれはシェスタローゼが市民や兵士達の息抜きのためにと言ってだな……」
 言いかけて、アイレスは口を噤む。ようやく彼も気づいたらしい。シェスタローゼに一杯食わされたのだ、と。
「してやられたな」
「はい。まんまとやられましたね」

 そうして、アイレスの勘違いもようやく解け、ついでにトレザーが小言をつけくわえたおかげで、アイレスはもう二度とだじゃれは言わないと確約した。その知らせは瞬く間に他の者達にも伝わり、皆が安堵したのは言うまでもない。
「で、お前さんは宣言書までアイレス様に書かせたんだったな。よくやるよ」
「市民の平和を守ったと言ってくれ。ああいうくだらないものを喜ぶ者もいるらしいが、わたしには理解できん」
 肩をすくめてアーダベルトはカップに残った味の薄いコーヒーを口に運ぶ。
 そのとき、扉が叩かれ、ひとりの若い騎士がひょっこりと顔を出した。
「あ! やっぱりここにいましたね! 今日は会議があるから早く戻ってきてくださいって言ったじゃないですか!」
「ああ、悪い悪い。今、行く」
 アーダベルトは立ち上がると、カップをテーブルの上に置いた。
「邪魔をした」
「そう思うのなら暇つぶしになど来るな」
 トレザーの台詞に笑い声を上げながら、アーダベルトは呼びに来た部下と共に去っていく。
 ようやく静けさを取り戻し、一安心したトレザーは再び執筆に没頭しはじめた。彼がペンを休めたのは、夕闇が迫る頃だ。
 彼は満足そうに笑みを浮かべると、書き上げた紙の束を丁寧に紐閉じた。


 こうして平穏が再び訪れる。二度とこのような悪夢は起きないだろう。これは確かに約束されたのだ。その証として、この宣言書を一緒に綴じておく。これがある限り、サストに再び、このような恐ろしいほどくだらぬ出来事は二度と起きないとわたしは信じている。

パスティール・ド・トレザー



「宣言書」

 わたし、サストの国王たるアイレス・ルタ・レナルダンは、ここに宣言する。
 ダジャレやシャレなどという言葉は二度と口にはしない。また、サストにおいて、公の場でこういった言動を口にすることは一切を禁じる。
 なお、私事に関してはこの限りではない。

アイレス・ルタ・レナルダン


 感想:
本編情報
作品名 Exadoria−エクザドリア−
作者名 紅葉
掲載サイト Little Wings
注意事項 年齢制限なし / やや女性向き / 表現注意事項なし / 連載中
紹介  光と闇の戦いを描く冒険FT小説。アルフェリアの王子ルディスと、幼馴染の騎士ローシェ。傭兵ダイと、ラルフという名でダイと供に行動する女神ヴェルダンディ。
 運命に翻弄される彼らの行く末は? (本編はシリアスです)
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